いつもの衣装のその上に、不似合いと自覚しながらもサーヴァントとしてのローブをまとったのは、秋口の夜風が少し肌寒かったから。
まぁ、こうも静かな夜なのだ。人の目もあるまいし、この背格好ならば不審者とは思われまい。
ああ、いや。それよりも先に迷子として処理されてしまうかしら?
くすくすと、笑い事でもないのに笑みがこぼれてしまう。
紆余曲折の果てにこの姿に甘んじていたような気がするけれど、今となってはこの姿の方がしっくり来るというのだから困りもの。
その事実にもう一度、今度はくすぐったさから苦笑を漏らす。
こんな時間に外に出ようと思ったのは、さて、なぜだったか。
何となく……そう、何となくシロウと共に土蔵に足を踏み入れたことや交わした言葉がきっかけのような気もするのだけれど、自分の決断だというのに捉えどころがなくて酷く曖昧だ。
これじゃあまるで夢遊病じゃないと自嘲しながら、それでも足を止めることもなくあてどなく、そのくせ不思議と迷いなく夜の町を行く。
何度見回してみたところで、星明りよりもよほど強い街灯の光の下にだって人の姿も獣の姿も、もちろん妖精やそういった類の何かも見当たらない。
街灯に照らし出される通学路にも、今一つ光の届かない脇道にも、立ち並ぶ家屋からは灯りがこぼれているというのにそこからも不思議と何の気配もない。
それは街灯の届かない山の中、長い長い石段へと足を踏み入れたって変わらない。
「はぁ」
長い石段への憂鬱さも乗せて息を吐きだしてみても、それはいつぞやの夜のように白く染まることもなく消えていく。
ありもしない白い吐息を探して石段の先に視線を送ってみれば、目に映るのは山門と、その向こうに浮かぶまばらな星と細い細い三日月くらい。
その月が、なぜだかひどく不気味で。
まるでこちら嘲っているようだなんて思ってしまうのは…………被害妄想だとは、思うのだけど。
頼りない月と星の明かりの下で立ち並ぶ木々は夜の闇夜を一層深くはしているけれど、そこに潜んでいるような何かの存在はやはり全く感じない。
いない、とそんな思考を繰り返して――あぁそうか、とようやく気づいて石段の途中で足を止めた。
月明かりに背を向けて、肩越しに振り返ってみたところでとっくにエミヤの屋敷は見えないのだけれど…………きっと私は探していたのだ。
探している――それがいったい何なのか、今をもって私には分からない。
「………………本当に?」
自問の声は密やかで、自分にだって届くのか怪しいくらいのものだったけれど――けれど、多分。だからこそ、何にも邪魔されずに私まで届いたのかもしれない。
……これだって妄想に過ぎないのだけれど。
自分自身の呟きに息を呑んでしまった私の背を、その月はきっと嘲るような笑みを浮かべたまま見下ろしている。
World/enD【Re;quiem】
/12
一夜が明けての朝一番、通学前のシロウには申し訳なかったけれど、土蔵の扉を開いてもらった。
目的はもちろん、私が忘れてしまったナニカを探すこと。
……正直なところ、現実的ではないにしても朝を迎えてしまったらその目的そのものを忘れてしまうのではないかという懸念もあったのだけれど、どうやらそれは杞憂のようだった。
もっとも、実際にはすでに目的意識が塗り替えられてしまっていることだって否定はできないし、そうであればこの思考自体が誘導された結果なのかもと――
「あぁ、もう」
意識して言葉を吐き出して、無駄な思考のループを断ち切った。
本当に、どうかしている。
昨夜からどうにも気持ちが浮ついている。
人の意識に介入して塗り替えようなんて、そんな神代の神々のような趣味の悪いことを、いったいどこの誰が何の目的で――そもそも今のこの世でこの私に対して成しえることができるというのか、などとは問わないでほしい。
自分自身、ただの妄想で理由のない危機感に過ぎないと頭の中では理解しているのだから。
だから、私にできるのは気分を入れ替えて、今抱いている思考が自身のものだという確信を揺るがさないこと。
不安だというのであればなおのこと、揺らいだ心はつまるところ付け入るスキなのだから。
「まぁ、思うだけなら簡単なものなのだけれどね、と。ふぅ…………、よし」
ぼやいて、息を吸っては吐いてを繰り返してから、覚悟を決めたと土蔵の暗がりをにらみつけて足を踏み入れた。
ひんやりと漂うこの場の空気の中には油と古びた金属の独特の香り。
シロウの工房の匂い。土蔵の匂い。
昨日、シロウと共に少なからず整理を始めたそのままで、その事実に少しばかり強張っていた肩から力が抜けた。
日差しも、外の喧騒もここでは遠い。
その在り方は異界そのものだ。魔術師の工房というものは当然そういったものなのだけれど。
それでも、と視線をやれば、雑然と積み上げられた物、物、物。
いつかは修理をするのだと、昨日も彼は息巻いていたっけ。
その在り方はあまりにも日常過ぎて、魔術師の工房とはちっとも相容れない。
くすりと小さく笑ってしまったのは、工房もまたここの主と同じくそれっぽくないからだろう。
「……さて」
気を取り直して言葉を吐き出して、私はもう一度ぐるりと土蔵の中を見渡した。
今度は、そう。ただ視力に頼るのではなく、魔力を追うように。
まず目に付くのはその床に描かれた召喚陣の残滓。
そして周囲に散らばるガラクタに紛れた、シロウ謹製のこの世在らざるマガイモノたち。
けれど、違う。私が求めているはずのモノはそういったものではないはずだ。
私は忘れている。
確信と共に、思う。
私はとても大切なことを忘れているのだ。
その確信だけが奇妙なくらい鮮やかで、逸る心がどくどくと早鐘を打っている。
見回す。見回す。何度も、何度でも。
それでも何も見つからない。見当たらない。見当もつかない。
さらに魔術回路を励起する。
ぎしぎしと、ぎしぎしと、気づけば錆びついてしまっていたそれが悲鳴のような呻きを上げる。
魔眼といって差し支えないほどに、この双眸に魔力をこめる。
周囲の音がさらに遠のく、日差しが翳る。
あたかも今この時この場所だけが真夜中に放り込まれたよう。
だから、だから、ああ、だから。
私はそれと察するのだ。
きっと、忘れたのは私自身。忘れようとして、喪失しようとして、それを叶えたのは私自身。
何のために? 何を望んで?
――その答えにまでは、まだ辿り着けない。
それでもこの、仮初の真夜の只中だからこそ、私は忘れていたものに辿り着く。
魔女たるメディアの始まりから終わりまで、ずっとずっと傍にいたその存在を。
疎ましくもあり、煩わしくもあり……それでも一欠けらの安らぎではあったかもしれないその名を。
『メディア』
今この場所に、実際にその声は聞こえてこない。響かない。
けれど、私の記憶のその奥には確かに。
はるか昔のその時ではない。ほんの少し、瞬きほどの昔の話。
私に似せたその姿で、笑ったその姿を思い出す。……あぁ、思い出したとも。
「どこで寝ぼけているのかしら? ねぇ――――金羊の皮」
開いた唇は自然とその音をカタチにして――けれど、いつしか閉じていた瞳を開いてみても、結局その姿をこの土蔵の中に見つけることは叶わなかった。
‐あとがき‐
だいぶ迷走を続けてしまいましたがどうにかこうにかお届けです。
当初の予定ではキャスターにももっと迷走してもらう予定だったのですがこんな感じで。
まだ一歩前に進めたくらいなのですが、少しずつでも着実に進めていければ。
初出:22/10/06
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