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 辺りはしんと静まり返っていた。
 日中にライダーの部屋で読書に興じていたその時とはまた異なる、ピンと糸が張ったような緊張感をはらんだ静寂。
 身じろぎによる衣擦れの音はおろか、わずかな呼気さえも許されないのではないかと錯覚してしまうような凛とした空気。
 遠く開かれたままだった扉の位置からでもはっきりと分かるその空気の中心に、まるで眠るかのように穏やかにまぶたを閉じるセイバーの姿。
 眠るように、とは言ってもその背筋はしゃんと伸び、意識もまた言わずもがな明朗なのだろう。
 例えば。
 例えの話でしかないのだけれど、仮にその眠るような横顔に不埒な思いでも向けようものならば――



「………………キャスター?」



 不意に。
 そう、本当に突然。
 ぱちりと開いたキレイな瞳が迷うことなくまっすぐに、開かれた道場の扉の陰にそっと隠れた私を射抜く。
 そのうえ静寂に溶け込むくらいささやかで涼やかな声が、そのくせ不思議とはっきり届くものだから、ぎくりと私の背筋が反射的に伸びてしまった。
 まるでいたずらの見つかった子供のようだ、なんて他人事のような考えが脳裏をよぎってしまうのも仕方ないくらい。



「ぇ? ぁ、いや! ……べ、別に何も悪さなんて企んでなくてよ?」



 突然向けられた眼差しと問いかけに、そうなりかねないと予想していたはずだというのに場に静かに横たわっていた空気をかき消してしまいそうなくらいわたわたと、我ながら驚くほどに情けなく取り乱してしまう私の姿。
 語るに落ちるとはまさにこのことと、頭のどこか冷静な部分は嘆かわしいと息を吐くけれど、だって仕方がないじゃない?
「……キャスター?」
 ほんとほんと、なんて身振り手振りで応じる私に対する彼女のまなざしからは、遠目にも分かるくらいに呆れの色が見て取れる。
 普段の日課として彼女がここに足を運んでいることは知っていたからこそ、彼女に気づかれないようにと細心の注意を払っていたのに、直観なんだか何なんだか本当にどうなっているのよその感知能力と思わずにはいられない。
 まぁ、気づかれないようにしていた理由なんて、ただの悪戯心だったから気づかれたからと言って別に何があるわけでもないのだけれど。





 はぁ、と。
 その能力の理不尽さにか、悪戯心なんて己のらしく無さにか、あるいは自分の間抜けさにだか息を吐き出して、それで少しばかり落ち着いた。
 こんなにも取り乱してしまうだなんて、本当にどうしてしまったのやら、なんて現実逃避に考えながら意を決して道場へと足を踏み入れた。
 幸か不幸かもはや先ほどまでの凛と張りつめていた空気は霧散してしまっていたからもはや躊躇いなんて何もない。
 ゴホンとひとつ、わざとらしくも咳払い。
「ごめんなさいね、少しばかり取り乱したわ」
「…………少し?」
 ……そこは深堀しないで頂戴な。








World/enD【Re;quiem】
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/Interlude



 私の前に腰を下ろしたキャスターはきょろきょろと、どこか落ち着きなく道場のそこかしこへと視線と飛ばす。
 そう頻繁に足を運ばないとはいえ、彼女がここに足を踏み入れるのはそう珍しくない。
 だというのに、まるで初めて足を運び入れたかのような仕草に思わず首を傾げてしまう。
 らしくもない落ち着きのなさにどうしたのかと問いかけてみれば。



「――探し物、ですか?」
「ええ、そうなのよ」



 答える言葉は気がない風ではあるけれど、おそらくは視線だけではなく魔術的な手段も含めて徹底的にこの道場を探っているようだった。
 キャスターの言葉の通りとすれば、何か探しているからだろうけれど……随分な念の入れようだと思う。
 時間にすればほんの1分程度の短い間。
 それでもこの場所のそこかしこを隈なく調べて、目当てのものは見つからなかったのだろう。
 彼女自身が気付いているのかいないのか、あからさまに気落ちした風に小さな吐息を吐き出した。
「……大切なものなのですか?」
 そんな姿に不思議な感傷を覚えてしまったのは、きっと出会ったばかりの彼女からは考えられない姿だったから。
「はぁ? たいせつぅ……? え、何、そんな風に見えたの?」
 私の言葉に、少しばかりうつむいていた彼女は心底嫌そうな顔を向けてくるものだから、思わずくすりと笑ってしまった。
 そのせいで、キャスターはさらに嫌そうに眉を寄せてしまうのだけど。
 あぁ、そうだ、と。何とはなしにあの冬の日を思い出す。
 士郎が彼女を見つけ、手を差し伸べたあの日々を。
 少なくとも出会ってすぐのあの時は、こうも感情を悟らせるような人ではなかった。
 もっと……そう――当たり前すぎてキャスターのサーヴァントに向ける評としては不適格なのだろうけれど――魔術師らしかったと記憶している。
 まぁ、出会いで言えば文字通りの敵同士。
 随分と特殊な状況ではあったものの、気を張ることなく相手をすることなんてできるわけもない間柄なのだから、気を許していなかったのなんて当然の話ではある。
 ――――困ったことに、我らがマスター殿を除いては。
 ついついその日のうちに私はおろかキャスターにまで食事をふるまういつも通りのシロウの姿まで思い出してしまったものだから、思わず苦笑交じりの笑みだって浮かんでしまう。
「む。何を笑っているのかしら? セイバーともあろうものが不調法じゃない?」
「私ともあろうもの、というのがよく分かりませんが……ふふ、えぇ、失礼しました」
 拗ねたような口調はその姿と相まって幼子のよう。
 そういったつもりはなかったのだけれど、向けられる恨めしそうな眼差しからすると彼女をからかっていると思われてしまったのかもしれない。
 そんな仕草にこそ私の笑みは深くなってしまうのだけど、彼女は狙ってやっているのだかどうなのだか。
 いつぞやシロウに警告したように、彼女が見た目通りの存在ではないと私は嫌というほど見知ってはいるはずなのだけれど、どうにも調子が狂ってしまう。
「ふん。まぁ……いいわ。えぇと、そう。探し物をしているわけよ」
 空気を入れ替えるように、ごほんごほんと誤魔化すようなキャスターの咳払い。
 彼女がすっと背筋を伸ばし、まっすぐに私を見つめてくるものだから、応じるために私も同じく居住まいを正す。
 大切なもの、と彼女は認めはしなかったけれど、その眼差しはまっすぐで、真剣で。
 だから、それ以上余計な言葉を差し挟むことなく、私ははいと首肯する。



「セイバーは、その――私の周りに飛び回っていた小さいの、覚えているかしら?」



 けれど、その問いかけは予想だにしないものだった。
 キャスターの周りを飛び回っていた……? そんなものがあっただろうかと首を傾げかけて、不意に思い返すのは小さな人形。
 あの冬、ライダーの構築した神殿のただなかで、シロウを導いていたキャスターの小さな姿。
 あれは……彼女の現身だという話だったか? ライダーの神殿の只中で、シロウを守るためにそれを用意したのだという話を聞いて驚きと何より感謝を抱いたことを――えぇ、覚えている。
 あぁ、と納得に言葉が漏れる。
 確かにその"彼女"はいたし、そういえばこのところその姿を見ていなかったのだと思い出したから。
 そのことを不思議にも思わなかったけれど――あぁ、いや、キャスターのことだから何か理由があるのだろうと思っていたのだったか?
 つまるところ……どうやらあちらの彼女がどこかに行ってしまったと、そういうことなのだろうか? それを探しものと?
「ふむ……? 小さいの、というのはあの、貴女の現身のことですか?」
「現身? あぁ…………ええ、そうね。で、まぁ、気が付いたらいなくなっていてね、どこかで見かけでもしなかったかしら?」
 私の確認に、なぜだかキャスターはほんの一瞬戸惑ったようにも見えたけれど、その理由が分からずに私は首を傾げてしまう。
 そんな私に向けてか、彼女は二度三度と首を横に振って、気を取り直したように何か覚えはあるかしらと聞いてくるけれど。
「残念ですが覚えはありませんね。……ええと、必要でしたら私も探しましょうか?」
「あぁいえ、ありがたい申し出だけれど、そこまでは必要ないわ。そうね、もしもどこかで見かけたら教えてくれれば、それだけで十分よ」
 私の返答にキャスターはそう答えて――けれど、不思議なことに彼女の顔にはどこか腑に落ちないような色が浮かんでいた。
 それはとても奇妙なことで、だというのに何故だか、その時の私はその表情を何かの気のせいなのだろうと理解してしまったのだった。



/Interlude Out










 ねむくなんてならないはずなのに、いしきはどこか、まどろみのなか。
 ふらふらと、ふわふわと、うわついて。
 ねむれないまま、へいのむこうのそらをみた。



 ――
 ――――
 ――



 まっくらな空の上。
 浮かぶ月はいつぞやのように薄く、薄く。嘲り笑うかのような細い三日月。
 そんな、どこか不愉快なそれを縁側に腰かけて見上げたままでこうして寝付けなかったのは先刻セイバーと交わした言葉と、そしてその後から理由もなく胸中に渦巻く違和感、言語化できない気持ちの悪さのせい。
 何かがおかしいと思うのに、何がおかしいのか肝心のところが分からない。
 あぁ、いや違う。
 きっと分かっているはずなのに、分からないと思っている自分が酷くもどかしくて、どうしようもなく気持ち悪いのだ。
 まるで服のボタンを掛け違えてしまっているような違和感、もどかしさ。
 原因は……分かっている。たぶん。
 セイバーは、金羊の皮(アルゴンコイン)を私の現身と呼んだ。
 あの姿は私を模っていたんだから現身といっても間違いではない、間違いではないけれど……アレが私ではない何かであると、彼女は思っていなかったのではないか?
 けれど、アレが私でないことはあの冬の日に、戦争の最中に分かっていたはずだ。だから、彼女が知らないはずはない。
 セイバーはずっとシロウと共にいたのだから――――……本当に?
 ずきり、ずきりと頭が痛い。
 だってそうじゃないとおかしいじゃないか。セイバーと敵対したというのなら今の状況があるはずがない。
 こんな妄想と、鼻で笑ってしまえばいいのに、私の思考はそこからちっとも進もうともしなくって。
 あぁ、これは。この感覚は、金羊の皮(アルゴンコイン)のことを忘れていた時と同じだと、気づかなくてもいいことに気づいてしまう。
 だからそう、私はきっと、何かを忘れているのだ。
 とてもとても大切なことを。
 その確信はだけれども――どこか遠くで響く時計の針の進むようなそんな幻聴に、すべてがすべて消えていく。
 時間切れだと、そんな確信を最後に私は――



 ――
 ――――
 ――



 ……
 …………あれ?
 ぼんやりと何を考えるでもなく考えていた私はふと、首をかしげる。
 いつからあったんだか、傍らに置いてあった時計を見れば、もう日が変わってしまっていたらしい。
 こんな縁側でうたた寝でもしていたのか、酷く寒いし、頭も痛い。
 サーヴァントの身でありえないことではあるけれど、まるで風邪でも引いたみたいで顔をしかめてしまう。
 ――何か、おかしなことを考えていたような気がする。
 からからと、からからと、ただただ思考が空転している自覚がある。
 ふるふると頭を横に振って立ち上がった。
 体調を崩すことなどないにしたってこんな寒気は気分のいいものではないのだから、考え事をするにしたって自室に戻って布団に包まっていた方がいい。
 私は欠伸をひとつ吐き出して、中庭を背に自室へと向かって歩き出した。



 ――空には、月。変わるなく、こちらを嘲り見下ろす細い月。







‐あとがき‐

 初出:23/10/29




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